物理の駅 Physics station by 現役研究者

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はじめての応用行動分析 第2章 応用行動分析を適応するに当たっての責務 議論のテーマ について

自主学習のためのメモ

  1. もし、教師として生徒に応用行動分析の手続きを使おうと決めたら、保護者や学校関係者、生徒にどんなふうにそれが正しいと説明しますか?
    • これまでに、科学的に正しいと立証されている手続きだけを使う。目標を共有する。途中で辞める権利がいつでもあることを知らせる。
  2. 用語を変えることーー例えば、 という言葉を避けるようにーーで、応用行動分析は専門家や一般の人に受け入れられやすくなりますか?あなたならば、どんな用語を考えますか?
    • 日本語での「応用行動分析」もかなり良く言葉を選んでいるように思われる。例えば、変容(modification)という言葉は強い言葉なので使わない。「行動法」というある決められた行動がありそれさえやれば問題が解決するといった印象は与えないなどの努力がなされている。しかし、一般の人が「応用行動分析」と聞いても実際に何をやっているのか全く理解できないだろう。
    • 「親や教師の行動と、子どもの行動の関連付け」と言い換えることを提案する。
  3. 嫌悪的手続きを使うことは倫理的と言えますか? もし、そうならどんな環境下ではそれが正当化されますか?
    • まず、嫌悪的手続きは全て倫理的ではないという前提に立つべきである。問題行動、すなわち対象となる個人にとって改善されると利益になるはずの行動を減らすためではなく、適切な行動を強化することを検討するべきである。そして、問題行動がどう変容するか観察し、それでうまくいけば良い。
    • ただし、あまりにも問題行動しかないケースで、嫌悪的手続きが唯一の解である場合は、本人や保護者の同意の下に、最小限のかつ限られた嫌悪的手続きを使うことも許容される。
  4. どの時点で、障害を持つ子どもに算数や国語などの勉強を教える試みをやめますか? その試みはどんな子どもになされるべきですか?
    • 「反対する根拠がなければ、すべての人はコミュニティの生活に完全に参加することが出来るし、その権利を持ってる」という前提で、教科技能や前教科技能を学習することができると思って接するべきである。しかし、習得が難しいと明確になった技能を教え続けることは非倫理的である。また、一度習得が難しいと明確になっても、その後状況が変化しないとも限らない。有給雇用になるためにも、必要な時期に必要な教科外のスキルを身につけることも重要であり、それはコミュニティとの常識とも関連してくるものである。